*Side-Kika&Tika
二条稀華




それは今より、数年昔。


――リストカット。
脳内にそんな単語が浮かび上がる。
血溜まりの風呂場で、倒れている人間。

それは紛れもなく、俺のたった一人の兄で、
「千華―――ッ!!!!!」
腹の底から叫んだ。
叫び続けた。
止めさせようとした。
だけど兄……千華はただ、笑っていた。
とても無邪気な笑顔。でも、見ようによっては狂人のようにも見えた。
それほど自分を傷つけるのが嬉しいのか、
それともたった一人、兄の理解者である俺がその行為を止めた事が嬉しいのか、

兄はその時一命を取り留めたけれど、
……狂い行く兄を、俺は見ている事しかできなかった。
兄には自虐癖があった。
ふとした時にカッターやナイフを振り上げてみたり。
そのまま振り下ろそうとして俺に止められて嬉しがったり。
何故笑うんだと訊くと決まって「また稀華が助けてくれた。」と笑う。
その笑顔はやはり、偽りの無い心からの笑顔で、また俺の心を苦しめる。




「ゆ、許してください………に、二条さん………。」
ああ、今日も――。
不良グループの主犯である奴の情けない声が近くで聞こえた。
また、兄はやってしまったのか。
そんな風に思いながら声の主に近づく。
不良の奴の傍にはやはり、俺の兄の姿が。
右手にはカッターを持ちながら、俺の前で見せる物とは違う、
とても醜い笑みを浮かべながら、そいつを見下していた。
「あはは…ばっかみたい。僕をイジメてた時は今の僕以上の事をしたのに、
僕が君達にすれば君達は怯える。馬鹿みたい。君達と似たような事を真似しただけなのに。」
「な……なんでもしますから………。」
「……本当に何でもする気?」
「は、はいっ!!で、出来る限りのことはしますから!!!」

頭を深々と下げ許しを乞うその様子は、非常に滑稽なものだった。
そんな奴等の言葉を聞いた兄は笑った。
……その瞬間、カッターを握る右手にほのかな力が込められた事を、俺は見逃さなかった。




「じゃあ、死ね。」




「千華ッ!!!!」
「…………っ、稀華……?」
振り上げた右手を止めるように、その小さな身体を抱きしめる。
俺が見ていた事に気づいていなかったのか、兄はとても驚いた顔をした。
その瞬間不良たちは顔に似合わない涙を浮かべながら走り去っていく。
(……良かった。)
思わず胸を撫で下ろした。
このままじゃ、絶対千華は人殺しを行っていた。


あいつ等は最近まで、千華を虐めていた奴等だった。
暇があれば千華を無理やり連れ出し、リンチしたりパシリに使ったり、
根は温厚な千華はそれに逆らう事はなかったし、勿論不良達にも千華は良い『道具』だった。
俺はそんな千華を救いたかった。
だけど、クラスが違いすぎた。
会う機会がなく、時折会えば千華が虐められてキズだらけになった後だったり。
だから俺には今、千華を落ち着かせる為こうして抱きしめることしかできないんだ。

「千華……ごめん、な。一人にしてごめん………。」
「稀華……?ううん、僕なら大丈夫、へーきだよ。」
そう言って千華は笑った。
双子でずうっと一緒に育ってきた為か、俺と言う存在は千華の精神安定剤になる。
そう、母が言っていた。
俺がこうして少しだけきつく千華を抱きしめると、千華の自虐癖は一時的に良くなる。
そして一時的に、自虐していた時の出来事が頭から抜けるらしい。
それは自虐だけでなく他人を傷つけようとした今のも運良く範囲内だった。







「僕、病気なのかな。」
「え……?」
それは、あの時の風呂場で見た血も似た、夕暮れ時。
俺と肩を並べて歩いていた千華が、突然俯きながら言った。
言うと同時に学ランの上を脱いで、腕を捲る。
(っ……、)
それを見て、俺は思わず視線を逸らした。
耐え切れない程の、無数の線。
それは夜毎に千華が傷つけてゆくものだった。
昨日風呂場で見かけた時よりも何本か増えていた。

また、俺の見ていないところでやってしまったのか。
「この傷が出来る前の出来事って僕、よく覚えてないんだ…。」
「………、」
「でもね、僕何となく分かるよ。…僕、きっと病気なんだ。」
「…千華………」



フォローするにも、優しい言葉が出てこない。
こんな自分の性格が嫌で、思わず唇をきつく噛む。直ぐに血の味がした。
そんな俺の行動に気づいていないのか、それとも気づかぬフリをしているのか、
「『日常』が欲しいな……。」
「……日常?」
「あの頃に戻りたいよ、ただ、稀華が大好きだったあの頃に。」

今にも消え入りそうな声で、たった一言呟いた。





あとがき
主人公ペア。自虐癖のある兄・千華と、頭の回転の速い弟・稀華。
く…暗い……!多分本編より暗いんじゃないかと…!(爆笑)
次は小学生コンビのみどはとプロローグです。



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